物語は思ったより終わらずに続いていく

配信で葬送のフリーレンを見た。少しずつ大切に見ていくつもりだったけど面白くて結局1週間ほどで28話ぜんぶ見てしまった。今回はアニメの話をします。

アニメは物語の最後までやる前提で作られていない

僕は若いころにアニメを見る習慣が全くなくて、30代に入ったくらいに見始めた。最初に見たのは電脳コイルだった。えっこんな面白いんだ、と思ってびっくりした覚えがある。
それから話題作を中心に少しずつ見るようになった。といってもテレビ放送を見ることはいまだにほぼなくて、放送が終わった作品を自分のペースで見るのが好きだ。当時はDVDレンタル、いまはサブスクの配信で見ている。

そうやっていろんなアニメを見るようになって、驚いたことがある。ほとんどのアニメが、話の途中で終わるのだ。主人公たちが目的を達成したのかどうか、あのシーンは何の伏線であったのか、などなど結論が出ないまま、アニメは終わる。
アニメオリジナルの作品はそれ用に作られているのですっきり終わることがも多いのだけど(最初に見た電脳コイルはそうだった)、マンガやラノベが原作の作品はたいてい途中で終わる。続きは製作期間をおいてまたやるのかなと思ってGoogleをアニメタイトルで検索すると、たいてい「(タイトル) 二期」がサジェストされて、円盤の売上が何枚だから二期はありそうとかなさそうとか、そんなページが出てくる。

アニメはそもそも物語の最後までやる前提で作られていないのだ。そして、みんなそのことを「そういうもの」として受け入れている。

これに気づいたのは僕がアニメを見始めてから少したってからで、けっこうなカルチャーショックだった。一度始まった物語は最後まで終わるところまでが一つのパッケージであって、そうでない作品は「欠けている」という感覚で僕は生きてきたからだ。なんなら、結末を見届けるために物語を見ているようなところもある。でもアニメはそういうものではないのだ。

終わる物語と終わらない物語

この感覚は自分がそれまで触れてきた文化と関係があるのだと思う。自分がいちばんたくさん触れた物語はたぶん大学時代にたくさん読んでいたマンガだと思うのだけど、長編よりも短編が好きで1~5巻くらいで完結するようなものばかり読んでいた。
次回まで我慢できないタイプなので連載を読むことはなくて、単行本で一気読みするタイプだった。
そういう鑑賞スタイルだと物語は必ず終わる。結末まで知ることができる。

で、いろいろ考えていて、結末がないという意味では連載中のマンガをリアルタイムで追うのも似ているかもしれないということに気づいた。
連載中のマンガは毎週、途中で終わる。次回までの6日間、途中で終わって動きがないままだ。アニメだってテレビ放送をリアルタイムで見ていたら同じ。
それに、本当に物語が完結する(=連載が終了する)のなんていつなのかは誰もわからないのに、みんなその状態を普通に思っている。

だからマンガを連載で楽しんでいる大多数の人たちは、僕に比べると「結末がない」ということに耐性ができているのだろう。むしろ、好きなマンガに対して完結(=連載終了)してほしくない、という人の方が多いようにも思う。

物語は終わるためにあるわけではない

どうも物語は、終わるためにあるわけではないようだ。ということにいまさらながら気づいたのである。

みんなが連載の次回を楽しみに待っている。
完結しない物語には、未来を楽しみにできる良さがある。そういうことなのかもと思った。

マンガ業界の構造の都合もあるのだろう。連載が読まれないと単行本は出版されないし、ラノベも途中の巻が売れないと完結するまで続刊しない。アニメ化だってされない。だから世の中の物語を支えているのは、圧倒的に結末がないことを気にしない人たちなのだと思う。逆にいうと、物語のコアなファンの人たちは、結末がなくても楽しめるように訓練されているともいえるかもしれない。

まあ本当はアニメの二期が制作されないこととマンガが連載中で途中までしか読めないのは別の話なんだけど(前者については一回手を付けたなら最後までやってくれよという思いは正直ある)、どっちも我慢できないタイプの自分から見て、受容の仕方としての共通点を感じたという話でした。

おわり

思ったことをとりとめもなくだらっと書いてしまった。

葬送のフリーレンの話に戻ると、あれはそもそも完結しない(マンガが連載中)と知っていたのもあって、別にガッカリはしなかった。なので完結しないことが先に情報としてわかる仕組みがあればいいのにとは思う。
つづきはコミックスに移るという手もあるのだけど、今回は諸事情あって二期を待とうかなと思っている。

※諸事情→


※同じ声優でしゃべり方も似ている