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ヘボコンとはなんだったのか

先週の土曜日、技術力の低い人限定ロボコン(通称:ヘボコン)というイベントを開催しました。

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白熱の決勝戦のようす

 

すべてがわかる紹介動画
https://www.youtube.com/watch?v=YCx_scvzxNY


イベント概要
http://portal.nifty.com/kiji/140603164276_1.htm

出場ロボット紹介
http://portal.nifty.com/kiji/140715164618_1.htm

イベント当日の映像はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=mt48hhhTv4A


Togetterによる暫定レポート
http://togetter.com/li/696415


正式なイベントレポートはまたデイリーポータルZのほうで書きますが、開催意図みたいな堅い話はそこには書かないと思うので、ここにちょっと書き残しておきます。

 

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技術力の高いロボットが技術力の低いロボットを蹂躙するエキシビジョンマッチ

ヘボコンとはなんだったのか


今回妙にメディアの注目度が高くて、新聞社やらもろもろのメディアのインタビューをいっぱい受けた。そこでたいていきかれたのが


「『「未経験の人がものづくりをはじめる入り口になれば』という思いがあったのでしょうか?」


という質問だった。


正直それはあんまりなくて、もちろん結果的に出場者から将来ロボット研究とかに進む人が出てきたら面白いとは思うけど、主催者として第一目的にそういうのがあったわけではない。


ほんとの第一目的としては「(技術力の低いロボットが戦う様子を)自分が見たい」というのがあって、イベントを企画した。それから規模が大きくなって関係者が増えていくと、ささやかながら使命感のようなものが生まれてきた。「未熟や失敗はそれ単体で価値があることを伝えたい」というのと、「不器用を楽しむことを伝えたい」というのの2つ。

 

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今大会最高の名試合となった、つくぼっと3号 vs クーちゃん零号機

下手な工作のすばらしさ

「自分が見たい」について。


以前ダメなMakerFaireみたいなやつの話でも書いたんだけど、ダメな工作はすごくいい。その魅力を説明する。


まずかわいい。上手く動かないロボットを見ていると、小鹿が足をプルプルさせながら一生懸命立ち上がろうとしている、あのシーンを思い出す。ままならなさがいい。応援したくなる。


それとは別の魅力として、ロボットを通して人間の弱いところが透けてみえるのがいい。

技術力のない人は自分の力量を見積もることができないので、たいてい計画段階で大風呂敷を広げる。「こんな機能をつけよう」「これもやろう」等と盛り盛りの計画を立ててしまう。

でも実際に作業するとそれら機能は重力や遠心力、テコの原理等が原因で実装不可能である。当初の計画から難易度の低い機能に切り替え、大きく妥協する。また、根気もないので途中で面倒くさくなって手を抜く。そうしてできたロボットは雑さや妥協といった人間の弱い部分の塊である。ロボットを通して、人間の弱いところが透けてみえる。

 

デイリーポータルZのライターの斉藤さん(僕は彼の工作が大好きで、今回も直接頼んで出場してもらった)の製作過程が凄くよかったので、勝手に紹介させてもらおうと思う。

 

 

 

当初の計画とぜんぜん違う。


ロボットというと非人間的で冷たいイメージがあるが、技術力の低い人が作ったロボットは、このように人間味の滋養にあふれたものである。

 

技術力の低いロボットは、工学ではなく文学のジャンルの作品であると思う。

 

不器用や失敗はそれ単体で価値がある

僕は技術力が低い人が作ったロボットはすごく面白くて価値が高いと思うのだけど、一般的に技術力の低い作品は価値が低いと思われている。


「失敗は成功の母」という言葉がある。一見、失敗の価値を認めているように見えるけれども、この言葉は最終的に成功することを前提としていて、その通過点としての失敗しか認めていない、狭量な言葉である。


僕の考えとしては、失敗作は面白いので、それ単体で価値があると思っている。成功につながっていなくても問題ない。技術の観点からは価値がないかもしれないけど、失敗作は少なくとも面白い。魅力的である。人を楽しませる力がある。


人間は失敗作や拙い作品を作ると価値が低いと思って隠してしまったり、発表しなかったりする傾向がある。でもそうではなくて、その「動かなさ」に価値があるし、その不器用さに価値がある。発表してほしい。僕はそれが見たい。

 

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一同に会す、不器用なロボット



不器用の楽しさを伝えたい

失敗作を作ってしまうことや、不器用であることを恐れなければ、もっと自由な楽しみ方ができる。


たとえば僕は英語があんまり喋れないんだけど、海外旅行に行って片言の英語で会話するのが好きだ。なかなか通じない、あのままならなさがいい。「こうやって言ったら通じるかな?」っていう試行錯誤。パズルみたいな感覚。


それと同じで、自分ができないことをやってみて、「うまくできなさ」を楽しむというのはレジャーたりうると思う。技術力がない人がロボットをつくるというのはまさにそれ。いろんな工夫をして、技術力の高い人にはできない、へんなやり方で、ギリギリ何とか動くロボットを作ってほしい。そこでできた異形のロボットは、拙いし、技術的には全く無価値だけれども、とても面白い。


できないことを悪いことだと思ってしまうと、後ろめたさを抱えてしまって、この「うまくできなさ」を十分楽しめない。ほんとうは、できないことはいいことだし、もちろんできることもいいことである。どちらもいいことで、別の楽しみがあるので、どちらも楽しんでいったほうがいいと思う。

 

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本番前、練習試合の様子



0を1にしたあと

インタビューの話に戻るけど、「このイベントを通して(ものづくりに関して)0から1になった人が、いつか10になってほしいと思いますか?」という質問があった。

 

それは悪くないと思うけど、僕の願いとしてはあんまり強いものではない。0が1にさえなれば、それで万歳だと思う。あとはその人が工作にのめりこめば1を2にすればいいし、そうじゃなかったら新たに不器用を楽しむために、別の0を1にする作業に取り掛かってもいい。そして、そのどちらの道も同じくらい尊い。


ただ、これは自分の場合だけど、1を2にする作業より、0を1にする作業の方が圧倒的に面白いと思う。自分はそういう作業ばかりいままでやってきて、いまここにいるように思う。

 

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メディア露出を阻む大人のおもちゃロボを、一致団結して倒しにかかるロボットたち



ふたたびヘボコンについてと、インタビューを受けること


ヘボコンは最初は10人くらいの小さい規模でやろうと思っていたのに、結果的に去年のマルチネとのクラブイベントに匹敵する大仕事になった。去年はイベント後にすぐに個人的な総括みたいな文章を書いていて、あれは「書かねば」っていう思いがあって書いたんだけど、今回はあんまりそれがなかった。途中でけっこうインタビュー受けたから、そこで語りたい欲みたいなのを発散しちゃったのだとだと思う。


インタビューって受けると自分の考えが整理できて面白いんだけど、同時につじつま合わせすぎてしまうというか、ちゃんとした考えにまとめすぎてしまう性質があると思う。「このイベントをやろうと思ったきっかけは?」みたいにきかれるけど、そんなに強い意志からはじめたものでもないので、ついつい今の状況から逆算して、それっぽい「きっかけ」を考えてしまったりする。


他人が過去を振り返っているインタビューを読むと、ずっと首尾一貫した行動をしてきてる人物であるかのように見える。でも実際にはけっこうそういう無意識のつじつまあわせが入っているんだろうなと思う。自分の過去もこれからそうやってどんどん変わっていくので、その前に現時点での自分の考えを残しておこうと思って、この文章を書きました。

 

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イベント終了後の集合写真