中学受験とは何だったのか

子供の中学受験が終わった。結果的には子供の人生を良い方向に導く結果になったと感じているものの、それでもなお「何だったのか」と感じてしまう謎の儀式であった。

ほんとうに、中学受験とは何だったのか。

受験、それはいつのまにかやってくる

そもそも僕も妻も地方の田んぼの隙間で育った田舎者であり、小学生で受験をするという発想すらなかった。むしろ小さな子供を受験勉強に追い込むことに愚かしさを感じていて、正直その気持ちは最後まで消えなかった。

なのになんで受験をすることになったかというと、もとを辿れば小2のときである。うちの近所には大手の受験塾が一つしかなく受験期から入ろうとしても満員で入れないというので、選択肢を残す意味で子供を入れた。この時点で入塾はあくまで「判断は保留」の意図だったわけだが、見落としていたことが一つあった。環境が人を作るのである。

3年後、「受験で良い結果を残す!」という決意に満ち満ちた小学5年生が爆誕していた。へーこうなるのかー(白目)という感じだった。

結局、そんな子供の強い希望に従って、本人はもちろん両親もめちゃ大変な思いをして受験を完遂した。それは子供自身の希望といえばそうなんだけど、ただその熱意って大元をたどれば塾で植え付けられたものじゃん?そう考えると我々は家族全体として塾に操られていたのではないか、という気もする。

いや、だから意味がなかったとかやるべきでなかったということを言いたいわけではない。結果的に得た成果は、これまでのコストを埋め合わせるに余りある。完全に「やって良かった」とは思う。ただ自分がその道を選択したという手応えに乏しいまま、めちゃめちゃ大変な思いとその結果の朗報がバリバリバリと台風のようにやってきた。そのことに不思議さを感じるのかもしれない。

受験勉強のジレンマ

さきほど、強く受験を希望したのは子供本人である、ということを書いた。

ただそうは言っても小学生はアホなので、「受験頑張るぞ!!目指すは〇〇中!」と言ったところでゲームはやりたいわテレビは見たいわ、空いた時間は何もせずゴロゴロしたいわで言動がまじで一致しない。その割に「受験で!良い結果を!残す!!!」という目標と決意だけは固い。親としてはそこをなんとかなだめすかしときには叱り、決意と行動を一致させていく、というペースメーカー業務がとにかく大変であった。くりかえすが、こっちはもとより遊び盛りの小学生を受験勉強に束縛したい等とはつゆほども思っていないのである。子供の『夢』のために自分のポリシーに反して子供に受験勉強をさせなければならない、しかも毎日、というジレンマにさいなまれる日々であった。

いや本当は、心境はさらにもうちょっと複雑だった。子供を束縛することは本意ではない。そのうえでしかし、子供が勉強をすること自体は……わりと快感なのである。小学生の学習範囲はいわゆる「一般教養」を広く浅くパッケージしたものという印象で(俺も知らないことがたくさんあった)、その中に無駄な知識など一つもないと感じた。自分の子供が日々知識や教養を身につけていくにしたがって、具体的には一緒にバスで移動しているときに塾で教わったばかりの数の法則を説明してくれたりとか、ブラタモリを見ながら「これは〇〇(社会で習った単元)のやつじゃん」とか言い出したりする。「我が子が育っとるな」という感じがしてたまらないわけである。お受験のためと思うとケッという気持ちになるが、基本的に勉強すること自体は悪いことではないのだ。

そういうわけで俺はすっかり子供と勉強することにハマってしまい、受験には本当に興味がないまま、勉強はみっちり教えた。それが俺の役割になった。
ついでに役割分担の話をすると、本人と両親、3人で奇跡的に分業がうまくキマったのも良かった。勉強は乗り気でないが合格はしたい子供が目標を司り、受験に乗り気ではないが子供に生きる知恵を授けたい俺が勉強をみっちり教え、教えるのは無理っすわと言った妻が事務仕事のマメさで情報収集(学校情報や、俺はあまり触れなかったがいわゆるお受験的なストラテジーがいろいろある)と手続き関係を完璧に行った。1/3の守備範囲しかない3人が奇跡的な噛み合いを見せてなんか1くらいになったのである。

適性検査で生きる知恵を学べ

ところで子供の第一志望は都立中だった。都立はなんか学校もいい感じなわりに公立なので学費が安く、人気がある。ただ入試が独特で、知識中心の問題ではなく、適性検査といって国語に限らず算数理科社会、すべての教科で長文を読んで記述で説明する問題が出る。

うちの子供の場合は入試3ヶ月前くらいに過去問をやり始めたのだが、塾の先生に「必ず手堅い私立を併願するように」と念押しされるほどの、暗澹たる答案であった。その作文力、説明力のなさときたら圧倒的だったのである。

まさに万事休すの状況であったが、ここで父である自分の職業人としてのキャリアに救われることになった。編集者として長く新人ライター育成担当をしており、書き慣れない人の文章を延々直してきた経験がここに役立った。遵守事項をルール化して覚え込ませることにより、子供が数カ月で見違えるような文章を書くようになった。

本エントリ唯一のお役立ち情報として、子供に教えた、記述問題でマシな文章を書くコツを共有したい。(例は適当で、実際の問題ではない。また以下のルールがすべての子供に有用とも限らない)

  • きかれたことに答える
    • いちばん大事。やりがちなNGは「資料A、B、Cを元に説明せよ」でAとCにしか触れてないとか。「理由を答えよ」だったら答えじゃなくて理由を書くべき…はさすがにわかるだろと思ったら、説明が入り組んでくると途中で前提を忘れて変なところに着地するのはありがち。
  • 1つの文に2つのことを書かない
    • 論理構成に不慣れなので、一文にいろいろ詰め込むと文章がめちゃくちゃになりがち。一文に書いていいのは1つの事項、と決めるとだいぶすっきりする。
  • 説明していない数や概念をいきなり出さない
    • 説明に使っていい数は、問題文にある数と、自分が書いたそこまでの説明文中に出てきた数だけ。それ以外の数が出てきたら途中の説明が抜けている。問題文に出てこない概念を使うときも同じ。
  • 前の文と次の文がちゃんとつながっているか考える。
    • 途中のロジックをひとつ飛ばしていないか確認。ひとつ前の「説明に使っていい数は…」はその一手法。あと文ごとに逆説か順接か考えて「だから」「しかし」を入れていくとかなりしっかりする。(入れてつながりがおかしいと感じる場合はだいたいロジックがひとつ抜けている)
  • 事実と意見は分ける
    • めちゃめちゃよく言われるやつ。勉強で習った知識や、問題資料から読み取れることは「~である」、自分で考察/推測したものは「~と思われる」で書き分け。
  • 資料からの考察を書く前に、読み取ったことをまず書く。資料の番号も書く。
    • 降水量の推移の資料があったとして、「○○(地名)は冬に乾燥するので」ではなく、「資料①より、○○は冬の降水量が少ないので、冬場は乾燥すると考えられる」みたいな
  • (以降、国語の小論文について)意見は1つに絞る
    • 中学校生活で頑張りたいことというテーマで「友達をたくさん作り、勉強もがんばる」みたいなのは×。ピンボケした文章になるし、たいていあとで理由とか書くと思うがそのときどっちの話をしているのかごちゃごちゃになる。
  • 同じことを繰り返し書かない
    • 学校の作文で原稿用紙の文字数を稼ぐため文章を水増しする癖がついており、すぐ「夜更かしすると早起きできず、翌日も眠いです。夜更かしをして早起きできず、翌日も眠くなるのを防ぐため、ちゃんと早寝したいです」みたいな冗長な文を書きがちなので避ける。
  • 具体性のあることを書け
    • 具体性がないと「コミュニケーションを大切にしていきたいです。コミュニケーションは必要だからです」みたいなボヤっした内容のない文章になる。コミュニケーションをおろそかにして失敗した体験を書いてもいいし、「コミュニケーションを通して情報交換することで文明が発展してきた」みたいな公知の事実でもよいのでなんか具体的なことを書く。

項目はもっとあるけど例を考えるのが面倒になってきたのでこの辺で。

なお上記は中学受験の記述問題を数カ月で少しでもマシにするための技術なので、すべての文章に適用できるルールではないことは念を押しておく。……といいつつ矛盾するようだが、適性検査に特化したメソッドではなく、子供がこれから生きていくために必要な表現力や説明能力を身に着けるためのルールとして設計したつもりである。俺は結局、最後まで本当に、子供に受験勉強をさせるのが嫌だったのだ。受験があるとないとに関わらずこれから重宝するスキルを身につけさせたい。勉強を教えるにあたりそういうスタンスは貫き通した。

↑都立対策に使った問題集です。

中学受験とはほんとうに何だったのか

2月の頭に入試があって何校か受験、結果的に第一志望に進学することになった。成績的にはめちゃめちゃギリギリ合格だった。なんとかハッピーエンド。

他人に自分の子に中学受験をさせるべきかときかれたら、正直どう答えていいかよくわからない。ただうちの場合は結果的にやってよかったとは思う。合格のための勉強だけではなく、受験をとおして子供が生きるための教養や知恵を身に着けたと思う。でも、世の中には受験させるよりほったらかして好きなことさせておいた方が生きる知恵を身に着けるタイプの子供もたくさんいるんだろうなと思う。育児は常に、まじでケースバイケースである。
ただ東京の場合は中高一貫が多いため高校入試の選択肢が狭い(それが中学入試の過熱の一因になっている)という話も聞くので、その点は少し考慮しておいた方がいいかもしれない。

あとこれは俺の日記なので俺の気持ちとか俺ががんばったことばかり書いたが、子供本人、妻、塾や学校の先生、そして子供と一緒に塾に通っていた友人たち、みんながそれぞれ頑張ってくれて至った結果であるということも書き添えておきたい。

第一志望の合格発表の前日、子供がポツンと言ったことがずっと忘れられないでいる。
「明日の午後は友達と遊びに行く。『全員、どんな結果になっても明日は笑って遊ぼうな』って約束したから。」
いつの間にこんな人間関係を築くようになっていたのだろうか。俺はこれを聞いて瞬時に涙腺に来てきまって、あわてて子供に背を向け、仕事があるふりをしてPCに向かった。ただ一緒にふざけながら塾に行く関係かと思っていた彼らは、同じ困難に立ち向かった仲間だったのだ。

他にも俺の知らない、あるいは知っていても見えていないことが、本人にはたくさんあったはずだ。俺にとってもいろいろあった受験だったが、子供にとってはそれ以上に、もう本当にいろいろあったのだ。

中学受験とは何だったのか。いまだにわからない。ただ、ふたつだけ言えることがある。一つは、おとうさんはまじでもう十分、受験はお腹いっぱいであるということだ。そしてもうひとつは……

もう一回遊べるドン!(下の子)



追記

中学受験とは何だったのか - nomolkのブログ

受験って成功した人しか語らない。例えば早慶で優秀な人の多くが東大落ちという隠された事実があるが、本人たちはそれをわざわざ公言しない。

2024/02/26 14:43
b.hatena.ne.jp

いっこ、書こうと思っていた大事なことを忘れていた。受験の成功/失敗についてだ。
上で子供が第一志望に合格したと書いたけど、それは入試時点での第一志望ということであって、それ以前に到達学力に合わせて偏差値の低い学校に下げている。なので厳密な意味で第一志望ではなく、失敗というとらえ方もできる。もちろんどこにも合格できない場合に比べたら成功寄りではあるけれども、一点の曇りもない成功というわけでもない。

そうやって考えていくと受験の結果を成否の二元論で語るのは意外に難しいように思う。結局、凡庸な結論ではあるが……本人たちが満足しているかどうかで考えるしかない。
うちは幸運にも、かなりスレスレと思われた学校に合格できて本人は喜んでいるし、俺は子供の成長につながった。満足度ベースで言えばすごく成功である。

この文章ではあえて「いい学校」とか「上位校」みたいな表現は避けてきたのだが、そういう学校に合格することだけを目的にするといろいろ窮屈になってしまって、不幸が増えるような気がする。受験を一種の活動としてとらえて、「そのどこに価値/意義を見出すのか」をしっかり見極めておくのが、「あとで振り返って成功と感じられる受験」の実現のコツかも、という感じがする。