前に進む音楽、コードへの渇望

1月12日にギターを買った。ヤマハの中古クラシックギター。それから取り憑かれたように毎日練習している。

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早々に挫折するという可能性もあったと思うのだけれども、もうすぐ1か月になる今、まったくその気配はない。可処分時間を全て練習に当ててしまう。本当はブログなんて書いている暇はないのだけど、かなり我慢して書いている。

下手でも、思うように上達しなくても、それでもなお楽しいので、ちょっと不審に思っている。何がそんなに楽しいのか。弾きたい曲がうまく弾けず、しばらく成長を感じられない時もある。それは結構なストレスだと思うのだけど、それを補ってなお余りある快楽はどこから来ているのか。

いろいろ考えて、それは自分の中の、コードに対する渇望なのかもしれないと思った。

時間軸に抗う音楽

高校から大学にかけてずっと音楽をやっていた。90年代後半から2000年代初頭。それから2012年にも思い出したように1年だけ。やっていたのはいわゆるDTMで、中でもサンプリング主体のループミュージックだった。





音楽というのは絵画や小説と違って、時間軸を有する芸術ジャンルである。音楽を瞬時に味わうことはできない。絵画や小説だって瞬時に味わうことはできないけれども、それは受け手である人間の情報処理速度の問題であって、少なくともある瞬間にその作品のすべてが存在することはできる。しかし音楽は、5分の曲は5分の時間経過がないと存在できない。小説は読むのが速い人/遅い人がいるけれども、5分の曲は誰にとっても平等に、鑑賞時間が5分かかるのだ。

しかしそれはたまたま音楽がそういう性質を有しているというだけであって、”そうあるべき”という話ではない。

僕がやっていた音楽というのは、音楽のそういう性質に抗うような、音楽だったと思う。





既存の音楽の断片を録音して、加工して、置く。
別の音楽の別の断片を録音して、加工して、その上に置く。いい空気になったらそのままにして、めちゃくちゃになったら置くのはやめる。
さらに別の音楽の別の断片を録音して、加工して、その上に置く。いい空気になったらなったらそのままにして、めちゃくちゃになったら置くのはやめる。

そうやって延々試行錯誤をして、たくさん音を重ねた2小節くらいの音の塊を作る。それが自分の作品だった。
それだと4秒くらいで終わってしまうので、それを3分や5分や7分のあいだループさせて引き延ばす。ずっと同じでは退屈になってしまうのでフレーズを抜き差しして展開っぽいものを作っていたけれども、実はそこにはあまり興味はなくて、とにかく2小節を作ることがいちばん心血を注いでいた作業だった。

時間軸に沿って進行していく音楽というよりも、例えば素材を組み合わせて形を作る、立体造形のようなものに近かったのではないかと思う。動かない彫刻のような。ただ音は鳴らし続けないと消えてしまうので、それをずっとそこに存在させたいために、ループにしていたというか。

当時はミニマルテクノやエレクトロニカ(当時は電子音響とも呼ばれていた)が元気だったころで、何十小節も同じフレーズが続くような音楽がたくさんあった。
ループミュージックというのは本質的にそういうものだと思っていて、展開はおまけというか、サービス精神に過ぎない。(暴論かもしれない)


前に進む音楽

話を戻す。ギターを買った初心者がまず何から始めるかというと、コードを押さえる練習からだ。コードには C とか F とか(僕はボサノヴァを練習しているので Dm7(b5) とか F#7/+5 とか)、名前がついている。ギターの指板上のコードごとに決まったフレットを左手の4本指で押さえると、弦の長さが決まって、そのコードの音が鳴る。

コードというのは何のためにあるかというと、音楽を前に進めるためにある。
コードには安定を感じさせるものと不安定を感じさせるものがあって、曲の中では次々コードを変えていくことで、安定→不安定→安定といった感じに緊張感をコントロールする。そうすると人間はそれによって心を動かされ、気持ちいいと感じたり、美しいと感じたりする。

コード進行は例えるなら物語のようなもので、僕が作っていた音楽が立体造形だとすると、コード進行を持つ音楽は映画のようである。始まりがあって、物語があって、エンディングがある。

かつてなかったもの

こういう音楽が自分の体から出てくるのがめちゃくちゃ面白い。いままで(聴き手としてはもちろん聴いていたけど作り手としては)触れてこなかったものであると同時に、いままで触れられなかったことでもある。

メロディやコード進行のある音楽は作ったことがなかった。別に避けていたわけではなくて、どうやっていいか全然わからなかったのだ。
僕がやっていた、ただ音を手あたり次第重ねて試行錯誤で作っていく作品制作はものすごく効率が悪くて、もうちょっと音楽理論とかを学ぶべきではと思ったことは何度もある。でもコードやスケールの理論は自分が慣れ親しんでいる制作手法とかけ離れすぎていて、本を読んでも全然頭に入ってこなかった。

「コードが進行している」

それがいま楽器を手にして、練習用のコードの図を見ながら鳴らしてみると、手元からそういう音楽が、出てくるのだ。最初のコードを弾いて、まだ下手なので2秒くらいモタモタして、それから次のコードをようやく鳴らしたとしても、そこはやっぱりコードが進行している。

自分が手を動かすと、なんだかよくわからないけどコードが進行している。この「コードが進行している」という現象が面白くて、ずっと弾いてしまう。

自分の中に、コードへの渇望、前に進む音楽への憧憬があったのではないかと思う。
それはもちろん今までやってきた創作を否定するものではなくて、それはそれで今でもお気に入りの作品たちである。
ただ、欠けていたもう一つのピースがはまった感じというか。

むしろ、ただ「コードが進行している」だけでこれだけ楽しいのは、むかしそうやって音楽をやっていたからなのだ。
むかし音楽やってて得したな、という感じである。

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