クラシックギターを習っている。去年の夏から始めたので一年くらい。
自分はわりと凝り性で、趣味が多い方だ。電子工作やらワールドミュージック収集やらプログラミングやら、過去にはDTM、今では仕事になってるけど文章書くことだったり、等々。
一部を除けば大半は下手の横好きレベルだけれども、趣味の数だけは多い。かつ、それらは全部独学で身に着けてきたので、物心ついてから学校の勉強以外で先生に何かを習ったということがほとんどない。というか人に習うというのがどういうことなのかもよくわからなかった。
そんな自分がギターを弾き始めて、初めて習い事に通っている。一年たって、なんとなく、人に習うというのはどういうことなのか、わかってきたので書いてみようと思う。(もしかしたら俺以外のみんなはあたりまえに知っていることなのかもしれないけど)
ちょっと長くなったので目次を入れます。
音楽の話をするのが好きなのでめちゃ動画を貼るが、重要ではないので飛ばしてもらっても構わない。
急にギターを買う
いきなり話がそれるのだけど、ギターを買ったのは去年の1月のことだ。当時 uami×君島大空 / howling(相槌) という曲をめちゃくちゃ聴いていた。それに感化された部分もあって、日曜日に家族で出かけた帰りに急に「ギター買うべきじゃないだろうか」と思いたって、家族を先に帰してお茶の水に向かったのだ。
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中古ギター屋に行って、「初めてなんですけどどれ買えばいいですか」ってきいて、小一時間ほど居座って話を聞いたあと、しかしアコースティックギターかガットギターか決めかねてその日は帰った。
※アコギとガットは両方とも木のギターで素人目には似ているのだけど、違う。ピックでジャカジャカ弾くのがアコギで、いわゆる弾き語りで使うのはこっち。いっぽうガットは指でポロポロ弾く楽器で、クラシックギターやボサノバ、フラメンコ等で使う。
翌日、夜に飲み会の予定があった(まだコロナが猛威をふるう前の話である)。そこに急にギター持って登場したら面白いかなと思って、夕方お茶の水に寄って、1.5万円のヤマハの中古を買って、そのまま担いで待ち合わせの居酒屋に行った。ウケた。
それがいま使っている楽器である。楽器の種類はかなり迷ったのだけど、ガットギターにした。結局自分が好きな音楽の中に弾けそうなものがたくさんあったし、最悪違ったら買いかえればいいか、くらいの気持ちで選んだ。
こういうのがやりたいんですけど、って楽器屋で聴いてもらった曲をいくつか貼る。
インディ・ザーラっていうモロッコのシンガーソングライター。
ビョークのフォトジェニックの日本版ボーナストラックに入ってたフラメンコの曲。
僕の大好きなイギリスのシンガーソングライターで、リアン・ラ・ハヴァスという人。
こうして改めて見ると女性シンガーばかりである。僕は男性なので、ギターの次は声帯の改造手術を受ける必要があるかもしれない。
独学のわかりと、わからなさ
こうして楽器を手に入れて、最初は好きな曲のコード進行を検索して見よう見まねで弾き語りをしたり
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↑キセル / 君の犬
クラシックギターの入門本をやったりしていて
ギターの近況ですが、音を出したいと思ったときに音が出るんじゃなくて、音を出したいと思ってから左指が動く→弦を押さえる→右手が弾く、でようやく音が出るのでどうしても遅れてしまう、むずかしー pic.twitter.com/EDHxxRFXpo
— メルセデスベン子 (@nomolk) 2020年4月3日
やればやるほどどんどんうまくなって楽しかった。この頃の興奮については、当時このブログにもエントリを書いている。
ただ半年くらい練習を続けたところで、急にどうしていいかわからなくなってしまった。
いまやっているものすごく簡単なことから、先に挙げたような演奏家たちの演奏につながる筋道がまったく見えなかった。
世の中にはギターの入門書は無数にあるけれども、それを終えた先にすがるものが見つからなかった。入門レベルを超えると一気に道がなくなってしまう感じがした。(ずいぶん先の心配ではあるのだが)
あと、演奏技術というのはとても抽象的な概念であるように思えた。例えば電子工作であれば「温度センサーの値をArduinoに取り込みたい」「ステッピングモータを制御したい」みたいなわかりやすい小目的があって、ネットで検索すれば答えが出てくる。その繰り返しでどんどん技術を身に着けていける。でも楽器は「うまくなりたい」っていう抽象的な大目的しかない。
「○○という曲を弾きたい」がもしかしたら小目的に相当するのかもしれないけど、何冊か買ってみた市販のソロギター譜は、とても自分が手を出せるレベルではなく、手の届く小目的が見つからなかった。
僕には道案内が必要だったのである。なるほど、これが世の中に習い事がある理由か。と理解し、同年の7月だか8月だかに、音楽教室に通い始めたのだった。
その頃めちゃくちゃ聴いていた、君島大空 / 向こう髪
習って良かったこと
それからは自分のやるべきことがすっかり整理され、練習に秩序がもたらされた。
習う側の技術レベルによって教室の意義は異なると思うのだけど、とりあえず初心者レベルでは人に習うとこんなメリットがあった。
①先生はマネージャーである
いちばん大きなメリットとしては、自分の練習の進捗管理をしてくれるところである。先ほども書いたように、独学だとまず「次に何をやっていいか」がよくわからないのだ。
それが習いに行くと、課題を与えられて、順にこなしていくことで段階的に新しいことを覚えられ、指も体もよく動くようになってくる。迷子になることなく、すくすく育つことができる。
その課題は特定の教本をベースに進めていくことにはなるのだけど、たとえ同じ本を使っても独学だと、ある課題について自分が合格レベルに達しているかどうかがよくわからない。そこをきっちりレビューしてくれて、十分に上達した状態で次にやるべき課題を提示してくれる。
②先生は締切を作る
といっても先生自身は明確に締切を設定してくるわけではないのだけど、定期的にレッスンがあることによって「次のレッスンまでにここまでできるようにしておこう」という目標を、自分の中に持つことができる。これがモチベーションの維持につながるし、毎日継続して練習する動機にもなる。
また、練習は基本的には楽しいものだけれどもたまには飽きの波が来ることもあって、そういう時にも多少の義務感で練習を続けることができる。続けてさえいればまたすぐに楽しくなって、飽きの波はすぐに通り過ぎていく。もし締切がなかったら、そうした飽きの波に飲み込まれてしまったかもしれない。
③先生は癖を直してくれる
独学だと自己流で変な癖がつきがちなので、それを直してくれるのもよい。例えば僕は独学のころにギターのネックを握るように持つ癖がついていて、クラシックギターはどちらかというと挟むような持ち方をするのが正しいので、矯正に苦労した。
習って指摘されないとそもそも気づけない癖だったし、いざ直す段階でも、じゃあどういうフォームが正しいのかとか、このままではどういう場面で困るのかとか、細かく教えてくれるので矯正しやすい。無意識にうっかり戻ってしまったときもちゃんと指摘してくれる。
④先生は技術を伝承してくれる
当たり前だけど、先生はギターがめちゃくちゃにうまいので、わからないことがきけるし、見本の演奏も聴かせてくれる。……のだが、それは楽器を習う意義のごく一部に過ぎないことを知った一年間であった。
実は楽器を習い始める前はこれがメインなのかなと思っていて、いやしかし毎月安くない月謝を払って、質問したいことってそんなにあるだろうか、とか思っていた。
でも実際には僕にとっては①と②がとても強力で、なるほど習い事をするというのはこういうことなのか……と気づき、このエントリの執筆に至った次第である。
そういうわけで楽器は習うメリットがすごくあると思った。独学で半年やってみただけに、かえってその意義はよく理解できた。
別に音楽教室である必要はなくて友人に頼むとか同好会的なものとかでもいいと思うけど、定期的に機会があるということが大事かなと思う。
久しぶりにギター練習の近況をアップしようと思ったのですが、いちおう顔だけ隠しておこうかなと思ってエレクトリカルパレードの動画と合成したら異常な映像になってしまった、ギター買ってからだいたい一年半くらい、習い始めて一年弱です pic.twitter.com/sf5VS3Qd70
— メルセデスベン子 (@nomolk) 2021年7月3日
↑比較的最近、7月時点の演奏。Twitterの動画アップロードは音が悪い!
楽器練習と音楽
ここからはまた余談。
自分はもともと音楽を聴くのが好きで楽器をやり始めたのだけど、「演奏する」というのは「聴く」に比べて、音楽への接し方がずいぶん違う行為だなと思う。
自分が親しんできたやり方とあまりに違うので、練習していて「この行為は本当に音楽なのだろうか」と思うことがある。
上達の快楽
ひとつにはその快楽の質の違いだ。
自分の技術が向上していくというのはとにかくものすごい快楽であって、先週弾けなかったものが今週弾ける、その達成感ときたらない。中毒になったように、時間があると延々練習してしまう。
ただそういう「できるようになる快楽」って、楽器に限らず自己研鑽全般に特有のものであって、音楽の持つ美しさとはあまり関係がないように思うのだ。もっと「美しい音楽と一体になる」みたいな感覚かと思っていたけど、いまのところそこまでに至れていない。
※ただ、これは単に自分がまだ楽譜をなぞるのが精いっぱいで音楽性の部分にまで意識がリーチできていないせいだと思う。とはいえ、初期段階だけでもこういう感じになるのは意外だった。
曲の好き嫌いと切り離されている
音楽を聴くときは、とにかく「好きな曲である」ということがめちゃくちゃ大事だ。好きな曲を選んで聴くことが効率的に快楽を供給してくれるし、いかに自分の好きな音楽を効率よく探せるかというのがリスナーとしての技術でもある。
いっぽうで、練習では自分が好きな曲をやるわけではない。例えば僕が習い始めて最初の方の課題で出た曲が「大きなのっぽの古時計」だったのだけど、別に全然好きじゃないのだ。それを一生懸命練習していく。こうして特に好きでもない曲にじっくり向き合って時間を費やすというのはかなり風変わりな体験だと思った。
ただし弾いてるうちにだんだん愛着がわいてくるのも事実で、上達の達成感も相まって練習した曲はけっこう好きになる。だから、良いとか悪いとかいう話ではない。でも、曲に対してこういう接し方をしたことがあまりなかったので、不思議な感じだ。
これからのこと
いっこ迷っているのは、根本的な問題として別に自分はクラシックがやりたいわけではないということである。
クラシックギターってこういう感じの音楽で、一年習いながらいろんな音源を聴いてはみたけど、いまだピンと来てないところがある。
それより自分はショーロ(ブラジルの古い即興音楽)とか
アルゼンチンのギタリストで、キケ・シネシ
同じくアルゼンチンのオラシオ・ブルゴス
ブラジルのギタリストのヤマンドゥ・コスタ
とかが好きでよく聴いている。
こういうのが弾けたらとは思うけど、ただ明らかにめちゃくちゃうまくないとこういう音楽はできない感じがする。当分はクラシックギターを習って基本的な技術を学びつつ、そもそもクラシックがやりたいわけではないというのは先生に伝えてあるので、ある程度上達したらソロギターとかに手を出しつついろんな曲のに手を広げていく感じになるのかなーと思う。キケ・シネシは楽譜が出ているので、10年後か20年後くらいにめちゃくちゃうまくなったら挑戦できるかもしれない。
嬉しい
さっき、『もっと「美しい音楽と一体になる」みたいな感覚かと思っ』た(けど違った)、と書いた。でもちょっと違ったかもしれない。
楽器を弾けることは、やっぱり音楽と一つになることだという気がする。うーん、言葉で説明するのが難しいんだけど……楽器が演奏できつつある自分が、すこし音楽の一部になってきているというか……音楽を享受するだけの一方的な関係だったものが、自分も演奏できるようになることによって、すこし分かり合えてきたというか。そういう感覚がうれしくて、夢中で毎日練習してしまう。そして、そのむこうに、さらに何かがあるようにも思う。それが見たくて仕方がない。
だからやっぱり、あの日「ギター買うべきじゃないだろうか」と急に思い立ったのは正しくて、天啓だったのかもしれない。
演奏だけじゃなくて、もうちょっと時間ができたら、音楽のことをもっと理解して、自分で美しい曲を作ってみたいという思いもある。
※大学時代はDTMで曲を作りまくっていたのだが、あれはサンプリングコラージュみたいなもので、楽器で演奏する音楽とはちょっと違ったのだ。
四十にして始めた趣味だが、これからやるべきことはたくさんある。
本当にたくさんある。
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ボサノヴァギターの名手、バーデン・パウエルも好きで、俺は要は「人間離れしたうまいギタリスト」が好きなのかもしれない。道のりは遠い
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ガラッと方向性が変わるけど最近気に入っている曲。こういうコード弾きっぽいやつもおいおいやっていきたい
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青葉市子も好きです。やはり歌が入ると女性ばかりになってしまうので声帯改造を受けないといけないかもしれない