釣りの話

俺は「釣り判定」を下したがる奴に対して心底怒っている - マシバ}クンシッバ

悪質なのは、「これは釣りだ」と言いたいだけの人間が多数いるということだ。正直、上二つの記事の内容なんてどうでもいい。事実だろうが創作だろうが勝手にしたら良いし、釣りだったとしてドヤ顔で釣り解説でもしたらいい。そうではなくて、なんでもかんでも釣り判定を下したい人間がいるせいでネット上のさまざまな表現が萎縮することを懸念しているのだ。


作り話だなーと思うのは別に勝手に思えばよくて、桜の花びらの漉き込まれた和紙にそっと「釣りです」としたためて笹船に乗せて川に流すくらいのささやかさだったらいい。全裸で路上に出てって「皆さんこれ釣りですよー!釣りですよー!」って叫びまくるみたいなのが醜悪。はてなブックマークのコメントに書いたりtwitterに書いたりするのはその2つの中間にあると思う。だから醜悪までいかないけどうざいなーという感じ。

あと、それがきちんとした考察や推理に基づいたもので「謎はすべて解けた」みたいな感じで披露したくなってしまったのならそれはしょうがない。でもベルトコンベアで次々流れてくる話に「ハイ釣り」「ハイ釣り」って焼印押していくような行為を見ると、アホか、と思う。

ここまでは行動の話で、それとは別に価値観の話があるんだけど、

特定の人のことを言っているんじゃなくてインターネット全体にそういう雰囲気が蔓延していると思う。

世の中には嘘であってはいけない情報ってたくさんあるんだけど、そうじゃない与太話もたくさんある。その区別がついてないのではないか。そのうち、絶対行くなと言われてた山に子供だけで入ったところ1人が上の空で意味不明なうわ言を繰り返すようになってしまい慌てて家に帰ると爺さんが見るなり「何てことをしたんじゃ!」つって呼んできた坊さんに「何があっても戸を開けるな」って朝まで部屋に閉じ込められるような話にまで「釣りです」とか言い出すんじゃないかと思う。

話それるけど一応書いておくとfacebookでシェアされる泣ける話の件、「嘘であっても泣ける話だから問題ない」的な展開になるやつ、あれは俺も最低だなと思っていて、あれは「嘘でもいい」とか言いながら「俺のシェアを読んだ人は本当だと思ってほしい」(そうすれば感動的な実話をシェアした自分の価値が上がるから)と思っているのが透けて見える。その効果さえ得られれば話の真偽はどうでもいい。詐欺的なのがひどいと思う。

というかこの件に関しては、真偽がどうという話ではなくて、それ以前に「泣ける話」自体が下品。

下品なものをゴテゴテと身にまとうことで必死で自分をいい人間に見せようとしておりトータルで見ると本当に下品、というのがキモさの本質だと思う。

さらに真偽がわからないと言いつつそのエピソードをもとにモラルや人間の在り方について語られる場合があり、小学校の道徳の授業か、と思う。一生フィンガーボールの水飲んでろ。