小学校低学年の上の子と二人で、3月の終わり、北海道に行った。妻と下の子を残して。
子供との2人旅はめちゃくちゃにエモい。
「エモい」という単語は読み手の世代によってニュアンスが変わる要注意ワードだが、ここでは単にエモーショナルであると捉えてもらえばいい。めちゃくちゃに心にしみるのだ。今この瞬間はかけがえがないぞ、という感覚が止まらない。しかも常時だ。2泊3日、羊羹のようにずっと同じ太さで、まるっと全部かけがえがない、という異常事態。
行きの便にて。東京を見降ろす。
旅程
3月終わりといえば本州ではぼちぼち春がやってくる時期だが、北海道はまだスキーシーズンだった。我々の旅程も、北海道の冬を満喫する方針で組まれていた。初日は札幌を観光し旭川に宿泊、翌日は旭山動物園に行ったりカーリング体験などを行い、その後リゾートホテルに宿泊して3日目は雪遊びをして帰る、という2泊3日。短時間でいろいろなところを回った。密度が濃い。
経緯
これはどうでもいい話なのだが、家族の一部を残していく理由が気になる人もいるかもしれないので書く。
当初は海外に行く予定だった。妻が「(本題に関係ないので前略)なのでこの春休みが上の子に海外旅行を経験させるベストタイミングである。自分は仕事が休めないため残って下の子を引き受けるので、上の子だけ連れて行ってくれ」ということで計画し始めたのだ。ただ、結局、予算上の都合で北海道になった。そんな経緯の旅行だ。
ハンドル付きのそり(?)を借りて遊んだ。子供にとっては初めての、本格的な雪遊びだった。
目的
こうして「子供を海外に連れていく」という前提が崩れ、出発前にこの旅行の目的は失われた。
目的?旅行に行くのに目的などあるものだろうか。いや、ある。目的という言葉がしっくりこなければ、「意義」と言い換えてもいい。
旅行の持つ意義というものは、年齢や立場などにより異なってくる。幼少期であれば「普段は行けないめちゃくちゃ楽しいところに行く」であろうし、学生になると「見聞を広める」要素も入ってくる。人生の節目には「思い出を作る」ための旅行なんていうのもあるだろう。
当初の「海外に連れていく」を失った時点で、今回の旅の目的もそういったライフステージに準拠したものに変わった。幼い子供を持った俺にとっての今回の旅行は、「子供を徹底的に楽しませる」ためのそれだ。自分は二の次でいい。とにかく子供に楽しい思い出を作ってやる。そういう覚悟でいくのだ。
子供を楽しませる旅行 ≠ 子供のための旅行
「自分は二の次でいい」等と書いたが、別に親としての義務感や、自己犠牲の精神で子供に楽しむ権利を明け渡しているわけではない。単純な話、親という生き物は、自分の子供が楽しそうにしていると快楽を感じるのである。「子供が楽しそうにしていてかわいい」というシンプルな愛情もあるのだが、それはまだソフトな方の快楽だ。それ以上にヤバいのが育児というのは育てゲーであるという点で、「これは人生経験として子供の人生にプラスになるぞ」とか「もしかしたら子供の一生の思い出に残るかも」といった親の一つ一つの思い込みが、いちいち心の中でレベルアップのファンファーレを鳴らすのである。あるいはソシャゲでキャラが進化したときのエフェクトを見せてくるのである。そしてあふれる脳内麻薬。
つまり子供を楽しませるのに専念することは、決してストイックな行為ではない。俺は俺の快楽のために、子供を楽しませる。単に子供に快楽中枢を握られた中毒者なのである。「子供を楽しませるのに専念」と書くと格好がいいが、脳の状態だけに着目すれば「旅行中ずっと酒を飲んで酩酊するぞ!」と宣言しているのとさほど変わりはない。
ちょっとわき道にそれたが、そういう旅だったのだ。
旭山動物園のアザラシの水槽。鼻血を出しながらの鑑賞(子供はなぜすぐ鼻血を出すのか)
パッケージツアーの機能性
ここで唐突に本題に入る。パッケージツアーだったのだ。添乗員がいて、バスでいろんなところに連れて行ってくれるアレである。
もうだいぶ筆が進んだところでいまさらの宣言だが、このエントリは旅行記ではない。
こういった旅行において、パッケージツアーがいかに向いているかという話をしたいのだ。
この手のツアーは自由に動けないし、特に行きたくないところにも行かされる。他の参加者とずっと一緒というのも面倒な気がして、これまであえて選んだことはなかった。ただ今回は、ペーパードライバーにとって北海道は移動に難があるという、消極的な理由から選んだ。しかし、とりわけ今回のような目的の旅行に関しては、これが思いのほか良かった。むしろ人にも薦めたいくらいで、だからこうして筆を執っている次第である。以下、そのメリットをいくつか挙げる。
ホテルの棟と棟をつなぐ通路。こんなに長いチューブの中に入ったことがないし、しかも外に雪が積もっているため完全な無音。完全に異空間で興奮した。
自分に自由がないこと
これまでデメリットと捉えていた、不自由であること。これが思いのほか良かった。
まず迷うことがない。お昼に何食べようか迷うとか、せっかく来たのでこの店に寄りたいんだけどとか、そういう選択肢が一切ないのだ。そうやって迷うことこそが旅行の楽しみだという意見もあるだろうが、それは大人同士の旅行の場合である。そうやって行き先を迷うとき、また移動経路を調べるとき、俺の意識はその目的地や交通手段に向けられる。しかしこの旅行中に向き合うべき相手は誰だっただろうか。子供である。「次にどこ行こう」「どうやって行こう」と考える時間をすべて省いて、子供とのコミュニケーションに充てられる。意識が子供から逸れることがないのだ。
また、迷うことによって、自分の行きたいところや食べたいものががでてきたりして、意識が自分の欲求に向いてしまう。すると「子供を楽しませる」という目的に対する集中度が落ちる。そうすると得られる脳内麻薬の純度が減るのだ。つまり俺の快楽が減る。
パッケージツアーであればただ旅行会社の言うがままにしていればいい。それは明確なメリットなのだ。
そうは言いつつ札幌市内では少しだけ自由時間があった。子供が電車好きなので路面電車に乗った。乗って3駅くらい行って帰ってきて、それだけで終わりだったが、満喫であった。
同じ視点であること
小学校低学年といえばそこそこの物心もつき、価値判断のできる年ごろである。それでいて日常的には「教育する側」「される側」の関係になってしまうことが多いものだ。
非日常である旅行の時くらい、できる限り対等な立場で接してやりたいと思った。その点においてパッケージツアーはとても優れていて、要は二人とも「連れて行ってもらう側」になれるのだ。旅行において自分が主導権を握ると、どうしても「連れていく側」「連れて行ってもらう側」という主従関係が生まれてしまう。そうではなくて、おなじお客さんの立場で「次に行くのはどんなところだろうね」「お昼ご飯はなんだろうね」と一緒に楽しみにすることができる。
大人同士での旅行では、そのような受け身の態度ではつまらないかもしれない。なぜなら向き合う相手は旅先の土地であり、街であり、人々の暮らしであるからだ。積極的にグイグイ行った方がいい。しかし、子供と向き合い、対等に接するという目的においては、旅行に対して受け身でいられるパッケージツアーはすごくよかった。
カーリング教室の会場。自由旅行だったらこのアクティビティは選ばなかったかもしれない。でも楽しかった。思いのほか難しいのがよくわかった(うまい下手のレベルではなく、ただ投げるだけ、なんなら立ってるだけでも難しい!)。やってよかった。
移動時間が多い
これはパッケージツアーだからというよりもしかしたら北海道だからなのかもしれないけど、移動時間が多いのもメリットだったと思う。子供とゆっくり話す時間がとれるからだ。
4人家族で暮らしていると、会話が散らかりがちだ。子供は多人数での会話に慣れていないので、自由なタイミングで好きなことを言ったりするし、特に下の子はまだ小さいので他人の会話に割って入ってきたりする。家族の会話は大人の会話のような流れのあるものではなくて、嵐のような感じである。それが、二人で旅行に出た途端に、自分と長男という2点を結ぶ1つの直線に収束する。その直線の上で3日間を過ごす。子供の一番好きな漢字とその理由、嫌いな食べ物が嫌いになったきっかけ、道路を走る車を見ていてどこが面白いのか。そういうのを事細かに聞いていくことができる3日間。夕食で行くレストランを選ぶのに、チラシ片手に30分も話し合うことができる。そんな贅沢なことがあるだろうか。
コインランドリーも子供にとっては非日常なので頭を突っ込んでいた。(大人にとってもそれほど日常ではないので洗剤を忘れて、このあと取りにかえる必要があった)
効率的に回れる
あとは単純に、いろんな場所を効率的に回れる。
効率的といっても移動時間は長いので、そのぶん1箇所あたりの滞在時間にしわ寄せがくる。時間が足りなくはなるんだけど、子供は大人に比べて集中力がないので、1か所で長くいるより、これくらいパンパンいろんなところを回っていくくらいでちょうどいいかもと思った。特によかったところ(とくに最終日の雪遊び半日はずいぶん短かった)は、もう少し大きくなってから、自由旅行で一緒に来ればいい。そういう次につながる展望が得られるのもよいと思った。
以上がパッケージツアーの利点である。
誰かが作った、かまくらに入ったところ。すっぽり収まったつもりであるが、子供は尻が体の一部であるという認識が甘い。
旅の感想
繰り返しになるが、2人旅行はとにかくエモい。毎日一緒に生活していても、なんの割り込みもなく、子供のことだけを考えられる時間というのは、実はそれほど多くないのだ。それが3日間ずっと続く。
最初に「子供を楽しませるのに専念することは、旅行中ずっと酒を飲んで酩酊しているのと同じ」と書いた。そういう不純な動機ではあるが、しかしながらやっていることは、純粋に、親子のコミュニケーションなのだ。こちらのがんばりは確実に子供に伝わるし、たった3日間の旅が終わると、実際に子供が一回り成長したような気さえする。
この2泊3日、おもわず普段あまり意識していない、自分の父性と向き合ってしまった。そういった時間は本当にかけがえがない。一生忘れないのではないかと思う。子供は忘れてしまうかもしれないけど、自分は忘れないと思う。こういう大事な記憶をうまく保存しておくために、俺はこうしてブログを書いているのだ。
羽田空港到着時に子供が撮った写真。思い出のフィナーレ。
写真はたまたま子供の後ろ姿が写っているものを選んだだけなので、特にいい場面が切り取れているわけではない。でも少しでも旅行の雰囲気が伝われば幸いである。
それから常時こういう父親であると思われると困るので一応書いておくと、自分も日々いつも子供を楽しませることを第一に暮らしているわけではないし、むしろ自分の希望を優先することも多い。ただ、期間の決まった旅行であれば気持ちの切り替えも利きやすいし、こういう楽しみ方もできる、というだけの話だ。
最後に、貴重な機会を作ってくれた妻に(と、あと下の子にも)感謝している。ありがとう。
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