小池百合子が「えー」を巧みに操っている

都知事選ではけっきょく小池百合子氏が圧勝した。

この結果が良かったか悪かったかという話はここではしない。とにかくテレビでニュースを見ていると投票終了の8時の時点でもう当選確実、続投が決まった小池百合子氏へのインタビューが流れていた。夕食を食べながらそれをなんとなく聴いていて、あることに気づいた。

先に言っておくと、小池百合子氏が言葉によく詰まるとか、「えー」で話を引き延ばしがちだとかいうことは言っていない。(そういうreplyが多数来たが)
上記ツイート中の例文は140字の中で説明するために誇張しただけであって、実際は小池百合子氏の話し方は詰まるところが少なく聞きやすい部類のものであると思う。

ここで触れているのは「えー」に相当する間投詞(専門用語でフィラーというらしいので、以下フィラーと呼ぶ)の音が前後の文によって変化しているという点である。

したがって、語尾を伸ばす(「私はぁー、今日ぉー」みたいな)話でもない。独立した間投詞の話である。

直前の母音に合わせて「えー」を変える

自分がプレゼンしている時の動画などを見返してみると、よくフィラーとして「えー」を使っていて、それは常に「えー」である。

小池百合子氏のそれは違って、たとえばこの動画

youtu.be


から冒頭部分を書き起こすと、こんな感じになっている。

、ただいま、あー、二期目、、当選確実の報を受けました、小池でございます。改めまして、都民のみなさまの力強いご支援に対しまして、大変うれしく感じると同時に、えー、これから大切な二期目、その重責を担っていく、うー、その重さに、いー、大変、えー、責任を感じるところでございます。

前述したように小池百合子氏の話にはフィラーの出現頻度が比較的少ないと思うのだけど、話しはじめということもあってこの部分は目立って多くなっている。

そのうち、直前の文字と同じ母音をフィラーにしているものを青、そうでないものを赤で書いた。

「ただいま、あー」の部分では、直前に来る「ま」の母音が「ア」なので、それに合わせて続くフィラーも「あー」になっている。
つづく「二期目、」も、「目」の母音が「エ」なので、フィラーが「え」になる。こういう対応関係でフィラーが変化している。

ちなみに赤く書いたもののうち、最初の「え」は参照する前の文字がないので「え」になっているものと思われる。また最後のは直前の文字が「ん」なので母音がなく、「えー」になっていると思われる。
そうすると、「同時に、えー」の箇所をのぞけばすべて前の文字の母音をフィラーが継承していることになる。

Twitterの反応

自分はこれを「えー」を乱発する喋り方よりもずいぶんスムーズに聞こえるように感じて、キャスター時代の訓練によるものと考えた。しかし違ったものを連想した人も多いようだった。

そのうちひとつは

学校の先生っぽいというもので、一般論として「先生っぽい」というよりも、具体的に出身校の校長であったり、担任であったりを挙げる人が多かった。これには当初ピンと来なかったのだけれども、replyの中にあった

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このコントの動画を見て「こういう先生いるわ…」と思って完全に理解した次第です。

あともう一つ多かったのが政治家の名前を挙げるもので、例えば小沢一郎氏であったり

第68代総理大臣の大平正芳氏であったり

少し古かったり、年配であったりする政治家の名前がよく挙がっていた。自分は国会中継をあまり見てないのでわからないけど、ほかにもいろんな政治家がやっているかもしれない。

偉い人の話し方

気になったのが、言語学分野の方と思われる(プロフィールより)方の発言で、

というものがあった。(定延先生というのは言語学者の定延利之さんではないかと思う)

※追記:出典に当たってくれた方がいました。ありがとうございます。→定延利之氏の「偉い大人」の話し方に関する記述(小池百合子氏の話し方の話) - 誰がログ


これらの情報を見るに、キャスター時代に修得したものという自分の見立ては外れていて、政治家としての立ち居振る舞いとして身に着けたものであるかもしれない。

実はそれを裏付ける資料もあって、キャスターから政治家に転向した直後の映像では

www.youtube.com

みごとにフィラーが全く入っていない。ほかにはバラエティ番組に出演した時の映像なども見たが、考えながら話しているような場面でも、見事にフィラーがなかった。

発話のプロであるキャスターとしてあるべき姿は「フィラーがない」であって、自分の考えを表明する機会が多く、また発言に際し慎重に言葉を選ばなければならない政治家になってはじめて、フィラーをうまく使うような話し方を習得し始めたということかもしれない。

なぜフィラーを変化させるのか

個人の感想だけれども、同じ頻度でフィラーがある状態では「えー」だけを使うよりも母音による変化があった方が格段に聞きやすいと思う。

察するに

  • 人間は母音の変化に敏感に意味を読み取ろうとしてしまう
  • 新しい母音として「えー」が出てくると、意味を見出そうとしたのが空振りして疲労感だけが残る

脳がこんな感じになっているのではないか。これは全くの憶測です。

Twitterではこの話し方が嫌いであるという反響がけっこうあったのだが、人前で話す機会の多い政治家や教師がこれを多く身に着けた結果、一部の人にとっては「偉そう」という印象で逆に不快感を与える結果になっている、ということではないだろうか、と思っている。

同時通訳について

最初のツイートで同時通訳に触れたのだけれども、例えばこんな感じでフィラーが登場する。

この映像の序盤に出てくる通訳者の方が面白くて、「私が……、あ・ここに…」「けれども……、お・私が」という感じで、隙間を埋めるというよりも、ほとんど後ろの文節にくっつくような形でフィラーが入っている。
距離(というか時間?)的には直前の母音より後の文節の方に圧倒的に近いにもかかわらず、前の母音のほうを継承しているのが面白い。

これもやはり「母音の変化するタイミング=言葉として意味がある」というルールにのとっているのではないだろうか。
同時通訳は、外国語と日本語で文法的な語順が異なることから、どうしても不自然な隙間ができてしまう。そこをフィラーで埋め、さらに耳障りにならないように……と考えるとこんな風になるのではないかと思う。

ただしこれについては元同時通訳者であったという方から指摘があり、

本来はフィラーではなく、単語の発音速度を変えることで調整すべきということであった。
これはこれで面白くて、例えばこのオバマ元大統領の演説の映像

38秒くらいのところで「政府はすべての問題を、か・い・け・つ、できないことは分かっています」と急にゆっくりになるところがある。以降も長く聞いていると急に速くなるところや遅くなるところがある。ただ意味を翻訳するだけでなく、こうやって時間の操作をしているというのは興味深い。

ちなみに余談になるが、いろいろ調べていると、同時通訳とフィラーの関係に関する論文を見つけた。

英日同時通訳者発話におけるフィラーの出現と聴きやすさとの関係 遠山 仁美 松原 茂樹 (名古屋大学情報連携基盤センター)

かなり斜め読みしただけだが、

  • 通常の日本語発話より、同時通訳の発話の方が有意にフィラーの頻度が高い
  • フィラーの前後に空いている隙間時間が少ないほど、聴きにくくなる

というようなことが書いてある。

残念ながらフィラーの音の変化については載っていないが、これはこれで面白い。また、フィラーの頻度についての言及は、最初に自分が「同時通訳の人とかにも見られる特徴的なしゃべり方」と感じた裏付けにもなっているのではないかと思う。

特に結論のない雑記でしたが以上です。